・磯焼けと無節サンゴモ
北海道大学名誉教授富士 昭先生(1995)によると磯焼け(Coralline flat)とは、
「大型海藻類の量的衰退にともなう退行的遷移により、構造階級の下層に生息していた石灰藻類の顕在化した植生構造が比較的長期間にわたって維持されている現象」
と定義されています。つまり、
「コンブ・ワカメ・ヒジキ等の大型海藻が全然いなくなって、石灰藻(無節サンゴモ)が海底を覆ってしまう現象」
と言えば分かり易いでしょうか?
ここで述べられている「石灰藻」とは細胞壁に石灰を沈着させる海藻で、磯焼け地帯に生育している「石灰藻」は一般に無節サンゴモ(紅藻サンゴモ目)と言われる海藻です。無節サンゴモは石のように堅くて、一見すると色がついた石にしか見えませんが、光合成も行う立派な植物です。下図の無節サンゴモは、北海道南部海域に生育しています。
左からエゾイシゴロモ、サモアイシゴロモ、ミヤベオコシ(scale=1cm)
北海道南西部の磯焼け地帯ではこれらの無節サンゴモが海底面積の83-98%を覆っています。一番上の磯焼け地帯の写真で海底が白く見えるのは、海底全域に無節サンゴモが覆ってしまっているためです。
・無節サンゴモが海底を覆ってしまうと困ること
無節サンゴモが海底を覆ってしまうと人間にとって困ってしまうことがあります。生きている無節サンゴモの上では、ワカメやコンブといった有用な海藻の胞子が育たないのです。漁師さん達は困ってしまいますね。この現象は人間の皮膚の上に雑草が生えてこないのと同じ原理です。無節サンゴモは表面から他の海藻が付着するのを防御する物質(アレロケミカルス)を分泌したり、表層細胞を剥離して(あかを落とすみたいに)自分の体の上に他の海藻が生育しないようにしています。海底面積のわずか数〜十数%にしか満たない、無節サンゴモ間の隙間や穿孔動物(主にゴカイ類)によって開けられた穴からワカメやコンブが生育しますが、加入してくる海藻の絶対量が少ないためでしょうか?上の写真のように、高密度に生息しているウニによってすぐに食べられてしまいます。このように無節サンゴモの繁茂は磯焼け維持の原因の一つであると考えられています。
・磯焼けと無節サンゴモの分布
これまで磯焼け地帯は北海道南西部日本海側全域に広がっていることが言われてきました。しかし、実際潜って調査してみると大型海藻(コンブやワカメ)が生育しない磯焼け地帯は、わずか3地点しか見つけることはできませんでした(下図参照)。この結果から、この海域では磯焼け地帯はパッチ状に散在していることが考えられます。
他の地点では規模の大小はありますが、少なくとも10m以浅までは海藻群落(コンブ・ワカメ・ホンダワラ等)を形成していました(下図参照)。無節サンゴモの被度(海底面積を覆う比率)は、磯焼け地帯で80%以上あり、海藻群落下では10〜30%と低いところがほとんどでした。海藻群落下でも53%と71%の地点がありますが、これらの地点の海藻群落は非常に乏しいのですが、磯焼けと呼ぶには一歩およばない地点です。このように大型海藻が生育しない磯焼け地帯では無節サンゴモが繁茂し、逆に大型海藻が繁茂する地点では無節サンゴモが少ないことが分かります。磯焼けの維持に無節サンゴモが大きく関与しているのでしょうか?この答えは今後の研究を待たねばなりません。
左が江差町(sta.9)、右が松前町(sta.11)の海底の様子。コンブ・ホンダワラ類が繁茂している。
・無節サンゴモは人間にとって「悪者」なのか?
ウニが育つ場所
以前、磯焼け問題を取り扱ったテレビ番組で、無節サンゴモを「白い怪物」と表現されたことがありました。磯焼け維持の原因の一つと考えられていることから、このような汚名を着せられてしまったわけですが、無節サンゴモは海洋生態系の中で重要な役割を果たしています。その一つとして知られているのが、ウニやアワビの幼生を変態(さらに生長するために形を変える現象)させる物質を無節サンゴモが放出するということです。この変態誘因物質がなければウニやアワビが幼生の段階から生長する事はありません。以前、北海道熊石町の漁師さんが「磯焼け地帯はウニが育つ場所だ」と言ってました。小ー中サイズのキタムラサキウニだけが高密度に生息していることを考えると、漁師さんが言うことも一理あるかもしれません。「磯焼け地帯はウニのゆりかご」と主張する研究者も出てくるのではないでしょうか?
珊瑚礁に果たす役割
昔から無節サンゴモは珊瑚礁で生息する動物サンゴどうしを結合させるセメントの役割があると言われてきました。また、最近では動物サンゴの幼生は、無節サンゴモが分泌する物質で着底・変態することも明らかになっています。つまり、動物サンゴの幼生は無節サンゴモが近くにいないと変態して大人になれないのです。さらに、いくつかの珊瑚礁では無節サンゴモを含む石灰藻の方が、動物性サンゴ造礁生物が生産する石灰量を上回ることが明らかになっており、サンゴ礁(coral reef)という呼び名は誤りで、海藻礁(algal reef)あるいは生物礁(biotic reef)とするのが正しいという主張する研究者までいます。珊瑚礁を守っていくためには、華やかな動物サンゴだけでなく地味な無節サンゴモの事も考えてやらねばなりません。
地球温暖化
無節サンゴモは海底に固着する生き物の中では(海藻・貝等)最も豊富な現存量があります。その分布範囲は極域から赤道直下まで、全世界に広く分布しており、さらに地球上の植物の中で最も深い場所(-366m)に生育する植物としても知られています。このように無節サンゴモは多量にそして広範囲に分布するため、最近、無節サンゴモを含む石灰藻は、地球温暖化の原因となる炭素を固定する生物として注目を集めており(石灰は炭酸カルシウムで構成されるため)、予備校の生物の教科書に石灰藻が登場するほどです。
・磯焼け対策
以上のように、無節サンゴモは磯焼け問題でやり玉に挙げられていることがしばしばですが、海洋生態系だけでなく地球環境にも大きな影響を与えている可能性があります。我々人類は一つの事象にとらわれ過ぎて、いくつもの大事な地球上の財産を失っていった経歴を持っています。磯焼け問題にしても、何千万円、何億を投資して、ただ磯焼け地帯にコンブを生やせばいいという訳ではないと思います。無理に環境を変えて、生態系のバランスを崩してしまい周辺の海域まで多様性のない環境に変えてしまうことも十分に考えられます。また、コンブやウニを多量に生産できたとしても効率のいい流通システムがなければ値崩れしてしまい、漁師さん達が儲かるはずもありません。現在の流通システムでも北海道南西部日本海側の漁師さん達は、「コンブやウニを採っても安く買い叩かれて儲からない」と言っています。今後、磯焼け問題を考える際、一つのことにとらわれるのではなく、あらゆる分野の科学や経済全体を把握した上で対策を講じる必要があると思います。私はその中の、無節サンゴモという小さな分野を担当させて頂いているに過ぎません。